Alcatel教授がおすすめする産み分けゼリーの効果と3つの注意

産み分けゼリーを使用して初めての妊娠は緊張と興奮でドキドキしてしまうもの。
それは本人だけでなく、旦那や親戚にとっても同じです。
特に初孫だったりすると、じじばばにとっては待望のと言っても過言ではありません。

産み分けゼリーの効果って?実体験者のケースからその効果を解説

私の場合、30歳を過ぎての出産。
しかも旦那側からすると初孫。
気の弱い私としては、その状況だけで緊張度が足し算されます。
当時は仕事をしていましたが、残業が多く23時以降に帰宅することもしばしば。
それも気がかりの1つになったのでしょうが、双方の両親から「仕事を早く辞めた方が良い」と助言を頂いていました。
けれど私としては下っ端の仕事でも、長く勤めていた事もあり中々踏ん切りが付きませんでした。
「仕事したい」私と「退職した方が良い」という周りの声。
会社にも妊娠報告をしたところ、退社を促されました。
そこが軽いマタニティブルーの始まりでした。

結局、会社を退社しましたが有給消化は出来ず、産休や育休もなく、復職の兆しも見えないまま専業主婦に。
特に辛かったのが、会社を辞めた事により別の親戚からは「産休扱いにしてもらえばよかったのに!もったいない!」等と言われてしまった事でした。
気も弱っていて周りとの波風を立てたくなかった私としては、周りの助言に従ったつもりでした。
「間違っていたのかな?私が悪かったのかな?」
と疑心暗鬼になっていき、家にこもるように。
周りは独身ばかりで相談する相手もいなかったので、その時期は辛かったです。

さてマタニティブルーになっていた私も無事、出産を終え育児に奮闘するように。
産み分けゼリーを買ってから2人目を妊娠中の時は専業主婦だった為、上記のような事はありませんでした。
(育児にストレスはありましたが)
周りも2人目という事で、あまり口を出さなくなりました。

驚いたのが1人目のときは、何かと熱心に世話を焼いてくれた周りですが2人目となると殆ど放置状態である事。
友達関係ではそうなるのも頷けますが、親であってもこれほどまでに違うのか。と痛感しました。
「経験者だから大丈夫」と見られてしまうのですね。
そこで、1人目とはまた違うマタニティブルーが到来。
「経験者なんだから、自分1人でも出来るはず」
と思い込んでしまい、益々周りから孤立する事態に。
周りから差し伸べられる手助けの助言も「大丈夫だから」と言って断るようになっていました。
本当は1人目を育てながらの方が、妊娠は大変なのですが。

そんな中、助けてくれたのが旦那でした。
2人目だと経験値もあり、なんとなく私の精神的状態も掴み易いようでした。
育児もフォローしてくれて、本当に助かったのを覚えています。

妊娠中は何事も気負いせずフランクに考える事が一番なのですが、私のような性格の人の場合、ネガティブに考えがちです。
少しでもリラックスしてストレスを無くすか、図太くても周りに甘えられる環境作りが大切だと感じた経験でした。

私は2児の母です。2人目の妊娠中はつわりがひどく、私のマタニティライフはほとんどが肉体的にも精神的にも疲れ切っていました。つわりの程度は人それぞれですが、今もつわりと戦っている方もいると思うと応援したい気持ちでいっぱいです。ひどいつわりを乗り切って愛くるしい赤ちゃんに会えたエピソードをご紹介させていただきます。

昔から女の子と一緒に買い物行ったり、友達みたいな親子になるのが夢でした。
仕事が楽しくて、結婚が遅くなったのもあり子供を作ることを考えたとき、産み分けすることを望みました。産み分けゼリーを使ったのです。
夫に相談しましたが、「安全が心配だし、子供は授かりものだから」とあまり良い顔はしてくれません。

何度かぶつかりましたが、私の熱意に負けて協力してくれるようになり、夫婦で産み分けのことを本当に色々調べることに。
食事の事、性行為の事、日にちの事、色々わかってきた中で存在を知ったのが産み分けゼリー。
産み分けの病院に行くのは、少し抵抗がありましたが、これなら二人の間でできると購入を考えはじめます。

気になる産み分けゼリーの効果を利用者の声から知る

一番有名なのは、産婦人科で使われているピンクゼリー。
でもコレは湯煎の手間を考えると、ちょっと大変かなと思いベイビーサポートを購入。
ハローベビーゼリーと悩みましたが、おめでた返金キャンペーンで余った場合でも買い取りをしてくれるので、こちらのまとめ買いに決めました。
産み分けゼリーの効果を調べてから購入したのが非常に良かったのだと思います。

産み分けゼリーは膣内環境を整える働きがあると述べましたが、ここまでの説明を見てみると膣内環境よりも精子をコントロールすることの方が大切そうですよね。

実はX精子とY精子にはそれぞれ特徴があるのです。そしてその特徴がゆえに、膣内環境を整えることが重要となってくるのです。X精子とY精子の特徴は以下の通りです。

X精子 Y精子
pH 酸性に強い アルカリ性に強い
数 少ない X精子の2倍
寿命 長い 短い
スピード 遅い 速い

上の表で大切なのはpHです。pHとは水溶液の性質をあらわす単位のことで、ここでいう水溶液とは膣内環境のことです。

普段膣内は雑菌が侵入しないように酸性に保たれています。この酸性の環境は精子、特にY精子にとっては非常に辛いものです。
出典:産み分けゼリー効果.com

このように産み分けゼリー効果.comでは専門家が産み分けゼリーの仕組みについても解説してくれているので非常に勉強になります。
これから産み分けにチャレンジしたい方は参考にしてみたら良いかもしれませんね。

もちろん中身も箱も国産。
口に入っても安全な天然成分、母体にも赤ちゃんにも安全なのは必須条件です。
私が一番心配だったのは、上手く使えるかという事と、雰囲気を壊してしまわないかという事。
特に手間取ったりすると、夫が雰囲気が壊れて嫌だと言いだしそうだったので、その点だけが心配でした。

実際使ってみると、凄く簡単でタンポンと同じ要領です。
短時間でいれることができ、雰囲気も壊すことがなくスムーズでした。

私たちは性交をする前に使用しましたが、前段階が長い場合は挿入する前の方がいいかもしれないですね。
2セットまとめ買いして、2箱目に入る前に妊娠しました。Alcatelさんもおすすめしている産み分けゼリーです。

そのまま1箱は返品したいと思います。
箱を開けた場合でも1本ごとに買い取ってくれるみたいなので、外箱は開けても大丈夫。

公式サイトで買ったものしか、このキャンペーンは適用しないので注意が必要です。
病院で女の子だという事がわかり、夫婦で喜んでいます。

私のつわりは、妊娠が分かった妊娠5週あたりから始まり出産前までありました。最初の3か月くらいが特にひどく、常にひどい吐き気に襲われていました。最初は食べ物も全く受け付けず、せめて飲み物だけでもと無理やり飲んで過ごしていました。2か月で10キロほど体重も落ち、立つのがやっとの生活でした。仕事をしていたのですが、仕事中は仕事に集中している分、つわりも気が紛れて作業ができていました。

しかし、家に帰ると仕事の疲れとつわりの気持ち悪さがどっとのしかかり、家にいる間はずっと横になっていました。寝ていても何をしていても何とも言えない気持ち悪さがずっとあり、早くこのつわりが終わってほしいと願うばかりでした。この最初の2か月は、食べ物もろくに食べることができなかったので、お腹の赤ちゃんは大丈夫なのか、自身の体調とともに赤ちゃんも心配な本当に辛い3か月でした。

それでも産院へ検診に行ったときには、赤ちゃんが元気に育っているという報告を聞いて、いつか赤ちゃんに会えるという希望を胸に頑張れたのでしょう。

安定期に入るころから徐々に食べ物が食べれるようになりました。つわりはまだありましたが、食べ物を食べれることで体調も体重も徐々に戻ってきました。吐き気があり食べたいものが食べれなかったのですが、少しでも食べれることの喜びや、食の大切さ、ありがたさを学べたように感じます。安定期に入ってもつわりがおさまらず大変でしたが、やはり妊婦検診のエコー写真で赤ちゃんに会えるとエネルギーとなり頑張ることができました。

つわりの程度は落ち着いてきていましたが、結局産前までつわりで吐き気がずっとありました。お腹が大きくなってくると、お腹の苦しさと吐き気で初期とは違う大変さがありましたが、あと少しでこの状況も終わると思うと、せっかくなのでこの辛さや大変さも楽しもうと思えるようになりました。

無事に出産を終えると、今までのつわりのひどさが嘘のように気持ち悪さがなくなりました。食事も胃がびっくりするのではないかと思うくらいたくさん食べることができ、味わって食べれる喜びをまた改めて感じました。
何よりもずっと会いたかった我が子に会えて嬉しい気持ちが大きかったです。これまでの妊娠中のつわりの辛さも良い思い出となりました。この妊娠から出産で感じたことを忘れず、大切に大切に子育てをしていきたいものです。

産み分けゼリーを使用する前には正しい知識をもってからが良いのは間違いありません。製品の品質もこだわってください。

出産の時の陣痛の痛みの後の幸福感

私は29歳の時に年下の主人と結婚が決まり、間も無く娘を妊娠しました。

妊娠初期は、冬なのに体がカッカと暑くなり、それまで冷え性だったのが、手足の先までポカポカでした。

食べ物や匂いによるつわりはありませんでしたが、車や電車に乗っていて、少しでも暑く感じたり、胸のアンダーが締め付けられると、ムカムカして吐きそうになりました。

妊娠5ヶ月を過ぎると、つわりも収まり、主人と最後の2人きりのお出かけや、子供が入らないレストランの食事を楽しんだりして過ごしていました。

今、娘は1歳になり、外食は制限されることが多いので、この時行っておいて、本当に良かったと思います。

このまま順調に出産まで過ごせたらよかったのですが、妊娠7ヶ月の時、検診に行った先の病院で、子宮腔まで2センチの切迫早産と診断され、急遽入院となりました。

ベッドの上の苦痛な時間

恥ずかしい話、切迫早産について考えてもみなかったので、その検診から家に帰ることなく即入院になったのと家の事が何も出来なくなるショックで、思わず涙が溢れたのを覚えています。

その後、偶然仕事が休みだった両親が実家から車で4時間もかかる距離を飛んできてくれたときの安心感も忘れられません。

初めは、薬を飲んで子宮収縮を抑えていたのですが、2週間ほどで点滴に変わり、トイレへは車椅子、シャワーも我慢しなければならなくなりました。

ほとんどベッドに寝ているだけの生活は、じっとしていることが苦手な私には苦痛でした。

よく、人から、赤ちゃんが出てきたら、休む間も寝る間も無く、こんなにゆっくりできるのは今だけなんだから…と慰められましたが、私は出産した後のバタバタの方が心地よく、充実していました。

切迫早産での入院も、妊娠36週には退院でき、それからは少し家に帰れましたが、ずっとベッドに横になっていた生活で足の筋肉は衰え、普通に歩くのもままなりません。毎日お散歩して、出産に備えて、少しずつお買い物にも出ました。

出産予定日前の検診の前日に、前駆陣痛らしきものがあり、検診で先生に子宮を刺激され、その日の夕方に陣痛がおきました。14:00頃から始まりましたが、また前駆陣痛かもしれないと思い、17:00頃まで我慢して、治らないのでタクシーを呼んで病院へ。

その頃にはもう、陣痛の痛みで自分で歩くのも難しく、車椅子で即陣痛室へ行きました。旦那さんも20:00頃到着して、横でうちわで扇いだり、ストローでお水を飲ませてくれたりしていました。

想像以上に陣痛が痛くて、だんだんと縮まる間隔に、冷や汗と嘔吐、声は出ないまま苦しんでいましたが、旦那さんが横についていて、背中をさすってくれるだけでもだいぶん、安心感はありました。

後々、白目になっていたよ、と言われて笑いました。

日付が変わる前に娘は無事、誕生しました。

その時には両親も妹も到着し、1人しか入れないと言われていた分娩室は大賑わいでした。

産まれた娘を胸に置いてもらうと、とても、とても幸せな気持ちになりました。

陣痛の痛みに比べると、出てくる時はマシだったように思います。

しかし、出産の痛みは忘れるという人も多いですが、私は絶対に忘れられません。

もちろん、今は娘と旦那さんと幸せいっぱいの毎日を過ごしています。

もう1人産みたいと思いますが、またあの痛みと戦うのかと思うと…恐怖です。

「胎児の自殺」から奇跡の生還ができました

二人目の子供は40週を過ぎても中々生まれてこず、一度は陣痛がきて真夜中に病院へ入ったのに翌日にはまた陣痛はなくなってしまって、まさかの出戻りをしたほどでした。

どんどんお腹で成長するのでこれはもう薬を使いましょう、と医者がいい、ボールや促進剤やと何もかも使ってのフルコースでした。

しかしまだ膣口が7センチしか開いていない時に、助産師さんがかなり緊張した顔で言ったのです。

赤ちゃんの心臓が弱ってきてます、もうすぐに出しましょう、と。

私は仰天でしたがまさか嫌だとも言えず、そのまま分娩室へ運ばれてひねり出すように言われたのです。

二人目は痛くないなんて嘘だ!と心の中で叫びましたが、まあそれも膣口が全開でないなら仕方のないことですよね。

散々苦しんで、だけど20分くらいでどうにか息子を捻りだしたところ、医者がああそうか、と叫んだのです。

息子は、過捻転という所謂へその緒の異常があった状態で、首に幾重にもへその緒が巻きついた状態で誕生しました。

一般的にはお腹の中で赤ん坊が何度も回転することでへその緒がきつく巻かれてしまい、赤ちゃんに十分な栄養や酸素が行き渡らないことが起こるのですが、我が家の場合は自分に巻きついてしまって出産前に心拍数が弱くなっていたようでした。

臍帯過捻転はよく起こりますがお腹の中で胎児が亡くなってしまうことも多く、胎児の自殺とも呼ばれることがあります。

出産間際に母体の中で亡くなってしまう子供は臍帯過捻転が多く、何と死亡原因の9割をしめるのに、よくこの状態でちゃんと生まれてきた、ほぼ奇跡ですよと病院の方々は驚いているほどでした。

その後で、息子の場合にはへその緒が絡みついていたために、出産に危険が伴うことが判って出てこようとしなかったのではないか、とお医者さんが話してくれました。

予定日を過ぎても中々出ようとしない子供にイライラしましたが、自分の命を守っていたのかと大いに反省しました。無事に生まれてきてくれて何よりです。

よく考えると妊娠中はかなりお腹の中で元気に動き回っていましたし、逆子になること4回、それが治ること3回で最終的には逆子での自然分娩になるかもしれない、という状態だったのを、予定日前日に元に戻るということもしていた子でした。

それだけ動いていればそりゃ過捻転にもなるわ、と主人と言いあったのも今では笑い話です。

産まれてからは特に大きな病気をすることもなく、元気に育ってくれています。

2人目の子供を妊娠して妊婦として強く感じたこと

現在、2人目の子供を妊娠しています。

同じ妊婦であっても1人目の子供と2人目の子供とでは環境が全く違うということを実感しています。

なぜなら1人目のときには自分とお腹の子供だけを考えていればよかったので妊娠中のつわりが辛かったりしてもそれほど大変な思いはしませんでした。

ですが現在は2人目の子供を妊娠している状況で嫌でも上の子供の面倒を見なければならない、多くの女性が通っている道なのでしょうがこれは私が想像していた以上にキツイということに気付かされました。

いくら子供につわりが辛いなんて言っても幼稚園や保育園の年代の子供には理解できません。

つわりが辛くったって子供のご飯は用意しなければならないし、お風呂にいれなければならない、以前ならできた家事の後回しもしづらい状況です。

1人目妊娠中は仕事をしているほうがむしろつわりの苦しさが集中することによってまぎれていたのですが、今はやるべきことが多すぎて忙しく自分のペースで物事を進めることができないのでむしろ大変です。

以前は仕事をしていたけれども今回は仕事をしていないから妊娠期間中はリラックスできるだろうと思っていたけれども大間違い。

正直、仕事をしていたほうがラクでした。

子供の面倒を見ながら妊娠期間を楽しむなんてものすごく難しいのが正直なところ。

それでもたまに子供が見せるお腹の子供に対する態度に癒されたりすることも事実です。

子供が自分の好きなお菓子を食べていてもたまに、そのお菓子を私に持って来て「赤ちゃんの分」といって渡してくれたりすると嬉しい気持ちになります。

お腹が大きくなってきて前かがみになって子供の世話をするのは本当に大変なのですがそれでも少しずつ子供も成長し自分でできることは何とか自分でやろうとする態度が見られるようになってきたので安心しています。

妊娠期間よりも出産後のほうが大変になるかと思いますが、それでも今の時期は本当に大変です。

やっと今、自分の母親はこんな思いをしていたのかと理解することができるようになりました。

子育ては1人でするもではないでしょうが、それでもやはり母親1人にかかってくる負担というのは並大抵のものではありません。

旦那が仕事をしているのであれば日中子供の面倒を見るのは母親のみです。上手く上の子供の協力を得られるように今から必死で勉強しているところです。

もしかすると、子供1人を育てているよりも2人以上を育てているほうがずっと子育てに関して勉強し努力しようという姿勢がでてくるのかもしれません。

3人それぞれの妊娠の感じ方

今まで、2人の赤ちゃんを授かり、無事に健康に出産出来ました。そして、今3人目の赤ちゃんを授かりました。

妊娠期間中も3人とも同じと言う訳ではなく、それぞれ、感じ方やつわりや体調面も異なりました。

一人目が授かった時は、不妊治療で通院してようやく待望の赤ちゃんが授かりました。

妊娠検査薬で陽性反応が出た時は、とっても嬉しくて思わず「やったー」という声と涙が出たほどでした。

それにも関わらずに、大のお酒好きで妊娠する前では毎日友達と飲みに行ったり、家でも旦那と晩酌していたので、飲めなくなるストレスがここまですごい事とは思いませんでした。

待望の赤ちゃんで苦労して不妊治療までして授かれたのに、お酒が飲めなくてストレスなんて欲深いことを思っている自分が最低だと思いましたが、頭の中はお酒飲みたいという感情と毎日戦ってました。

それでも、我慢して何とか飲まずにいました。誕生日やクリスマス、友達の結婚式等、特別なイベントの時だけ一杯飲んだりはしてしまいました。

そして、一人目の時に思ったことは、初期は流産する確率が20%もあるという事実に不安で不安で、毎日ネットで情報を見ては、過ごしていた為、安定期までと胎動が感じるまでとっても長かったです。

病院での検査が1ヶ月に1回というのも待ち遠しくて、エコーで赤ちゃんが元気な事を確認できるととっても安心してまた、今月も乗り切れたと思っていました。

そして、体重増加は母体共に危ないと聞いていたので、徹底した体重管理をしていました。

その為、安定期に入ると2時間近く毎日通勤の途中で歩いたりしていました。

たまに、大好きなソフトクリームを食べるとお腹の赤ちゃんが冷たいのか動きがよくなって、胎動が激しくなるのを「赤ちゃんも甘いもの喜んでるのかな」「冷たいんだよ!」と主人と笑いながら話した事を覚えています。

産休まで長く感じましたが、産休に入ると友達と会ったり、あっという間に過ぎました。

トラブルも何事もなく正規の週数に入り38週5日で破水して出産になりました。

生まれてきてくれた娘は、これ以上ないほど愛しかったです。2人目と3人目のときは、不妊治療に通わずに1回の行為で自然に妊娠したことにびっくりしました。

そして、妊娠中の感じ方が子供がいるためか不安になる余裕もなく、あっという間に過ぎていきました。

最初の妊娠の時にはなかったつわりが2人目の時にはあり、最初の妊娠よりきつかったです。

3人目はちなみにありませんでした。

3人3用の妊娠ですが、今妊娠している赤ちゃんも健康に無事に生まれてきますように家族全員でお祈りして会える日を心待ちにしています。

 

 

 

妊娠中は食べづわりで体重管理が大変でした

妊娠してから何か口にいれていないと気持ち悪くなるので、飴を食べたりお菓子を食べるなど、よく食べるようになったので一気に体重が増えてしまい、かなり困りました。

いつも妊婦検診の際には、体重増加の注意を指摘されることが多く、体重を増やさぬように過ごすのはかなり大変でした。

食事管理も徹底して行わないと、妊娠糖尿病などのリスクも高くなるとのことで、食事指導など色々と産婦人科では指導があったので、自分で自炊する時も意識しながら調理するようになりました。

妊娠中の食べづわりの時は、なるべく高カロリーになるものは避け、酢こんぶなど低カロリーのものを取り入れるようにするなど、普段の生活の中で高カロリーにならない食事を気にかけて調理するようになりました。

お天気がよく、体調も優れている時はウォーキングをするなど、ちょっとした隙間時間を利用して適度な運動をするようになりました。

長時間歩くと妊娠中期以降はお腹が張ることもあるので、それは避けるようにしてゆっくりとウォーキングをするようにしました。

家の中でゴロゴロしているのもあまりよくないですし、適度な運動をすることでリフレッシュでき、体調も改善されるので普段の生活の中で色々と意識しながら生活していくようにしました。

季節を感じながらウォーキングするのも気持ちが良いですし、快適な気持ちになるのでなかなか満足できます。

食事も野菜を中心としたメニューにするなど、食事のバランスを考えて調理するようになったので、なかなか満足できる妊娠生活を過ごせるようになりました。

妊娠初期は、気持ち悪くなったら飴を舐めるようにしていましたが、病院で指導を受けてからは、酢こんぶを食べたり、ウォーキングするようにしているので、体重増加をストップすることができ安定した体重をキープできるようになりました。

妊娠後期はお腹が出てくるので動きずらくなり、前屈みするのも一苦労で、お腹を圧迫しないように動くのがとても大変でした。

腰も痛くなり腰痛気味になってきたので、なるべく無理なく過ごせるように腰を緩和できるクッションを購入したり、寝ている時もお腹が重くて動きずらいので抱き枕を使うなど色々と工夫しながら妊娠後期を過ごすようになりました。

妊娠後期は、お腹もだいぶ大きくなり、腰の負担も重く、そして足のむくみもかなりひどくなったので、スニーカーやサンダルなど、足への負担が少なくて済むものを着用するようになりました。

夢を叶えるまでは。やっと授かったかけがえのない命の重み

最初の妊娠が分かったのは30歳の秋のことでした。

残念ながらこの子は流産をしてしまったのですが、妊娠検査薬に青色のラインが入った時の喜びは一生忘れることはないと思います。

私の20代は、後の夫となる彼と付き合っていたものの、彼が大学院博士課程まで進学したため、なかなか就職せず結婚することができず、妊活も必然的にできませんでした。

28才になる年、彼が就職したためようやく結婚することができましたが、私には新たに夢ができ、その夢を追い求めるため夢が叶うまでは妊活を控えようと決めました。

当時の職場には子どもがほしくてもなかなかできない方やもう諦めていらっしゃる方が大勢いたため、子どもはほしいと思ったからといってすぐに授かるものではないことは理解していました。

20代ももうすぐ終わる。

それでも若い20代は残りわずか。ここで夢を諦めたら一生後悔してしまうと思い、30歳になるまではがんばってみようと決めたのです。

そうは決めたものの、やはり子どもができるのかは不安で仕方なくよく当たるという占い師のもとへ行っては子どもが授かるかを占ってもらったり、産婦人科に行って検査をしてもらったり、子どもがほしくても授からない体質ではないかを確認することは怠りませんでした。

妊活をしなければという不安をいつも頭の片隅によぎらせながら、夢を追い求めた結果、29歳になる年で念願の職業に就くことができました。それは涙が出るほどうれしい結果でした。

その職場で1年半年ほど働き、納得できる最後の20代を過ごすことができました。

もっともっとここで働きたい、輝きたいという強い希望はあったものの、私のもうひとつの夢、かわいい子どもを育てることを叶えるため、30歳で妊活を始めました。最

初は基礎体温を整えるサプリを飲むことから始め、腹巻や靴下を履いたり、基礎体温をつけたりと妊娠につながるという行動を調べては試していました。

それでも4ヶ月ほど経っても毎月今月もきたか、とがっかりすることばかり。やはり妊娠は簡単ではないと思い知らされました。もしかすると排卵していないのかもしれないと考え、次に試したのは排卵検査薬です。

しっかり反応はしたのでおそらく排卵はしているのかなと安心はしたものの、タイミングを図っても、2ヶ月はうまくいきませんでした。

毎月生理が近づく度、今度こそはと胸を踊らせそして落胆するという日々を半年ほど繰り返した時、ようやく検査薬が反応したのです。

すぐに産婦人科にかけこみ、同様に検査薬で検査をしていただくと、薄く陽性反応が出ました。医師からおめでとうございます。と声をかけていただき本当に妊娠できたのだと実感しました。

最初に述べたように残念ながらこの子は生を受けることはありませんでしたが、その翌月には忘れ物をしっかり拾って再び私たち夫婦のもとに帰ってきてくれました。

10ヶ月お腹の中で元気に育ち、無事に産まれてきてくれました。

授かることが簡単ではなかった分、命の重みをいつも思い知らされながら、いま、子育てに奮闘しています。

1人目の出産はわけもわからず、最後は吸引分娩でした。

2014年7月26日に1人目の女の子を出産しました。出産予定日は7月21日で、妊娠中盤から、切迫早産気味と言われ、張り止めを処方され、退職勧告されていたので、予定より早く生まれると思っていました。それが、結果的には5日も遅れて生まれてきました。

7月23日、24日と夜中に眠れないくらいの陣痛で25日に心配で病院いきました。

NSTしてくれて、だけど陣痛の計測は20分で2回だけで、まだ本陣痛ではないし、様子見だねと言われて、一旦帰らされました。

そして、その夜の7時頃からまたまた前駆陣痛がきました。

しかも痛みはそんなでもないけど間隔は8分おきくらいでした。

母親教室で、感覚が7,8分なったら電話してって言われていたので、とりあえず、入院したいと思って、 夜9時に両親に付き添われて病院行きました。

たまたま病室が空いていたこともあり、そのまま入院させてくれました。

里帰り出産でしたので、車で2時間の所に住んでいる旦那に電話をしました。

旦那が高速道路を飛ばして、着いた時間は10時半でした。その頃には間隔も5分間隔で本当に痛いという感じでした。

定期的に痛みが来て、痛いときは、トイレの便器に座れば、痛みを我慢することができたので5分毎にトイレの便器を往復しました。

で、分娩室の隣にある待機室に移動。

そこからまだまだ長い道のり

そのまま日をまたぎ、朝の1時頃には痛みが増し、我慢もできないくらいになりました。

ナースコールで看護師さん呼びました。

子宮が4cmまで開いたって言われました。開きにくいと言われていてもちゃんと自然に開くんだと感動しました。

痛みはどんどん増していきます。

だけどその時点でまだ子宮は6cm。開大の10cmまであと4cmです。

朝の5時に旦那が母親に電話し母親も病院にきました。

その頃から痛さMAX

いきみ逃しに大きなふわふわのクッション借りて、そこに這いつくばっていました。

間隔も短くなって、もうじき痛みくる!ってのもわかるようになっていました。

旦那にずっと手を握ってもらってて、大丈夫大丈夫ってずっと励ましてもらいました

その頃にはクッションのいきみ逃しも効果なくなっててかなりの絶叫です。

今思えばかなり恥ずかしい行為くらいに叫びまくりました。

AM11時。子宮が8cmまで開きやっと分娩室に行き、医師も来てくれました。

「こんなにいきんるから10cm待たずでも大丈夫かもしれませんね」と助産師に言われました。

知らない間に破水もしてたらしく、分娩台に乗せられました。

助産師さんにいきむタイミング教えてもらって、さっそくいきもうとしてもうまくいきめません。疲れてしまい陣痛がよくわからな くなっていました。

いまだって思っても違うらしくて赤ちゃんがおりてきません。

ちょっとずつ赤ちゃんは下がってきてるみたいで、頭が少し見えました。

「下向いて。頭が出てるよ。もう少し」助産師さんに言われて、下をみたら、確かに何かがありました。

あと少し。。あと少しがいきめず、完全力がなくなりました。

「お手伝いしましょうかね」とひっぱる物を持った先生が立っていました

お手伝いというのは吸引分娩をする器具でした。

先生に助けられ、11:32に無事に娘が生まれました。

12時間近く格闘しましたが、初めて抱く我が子はかわいくてかわいくて仕方がありませんでした。

あれから3年たち、生意気なお喋り娘に成長しております。

 

現在妊娠5か月!男の子かな?女の子かな?ドキドキわくわく!

私は現在、妊娠5ヵ月の妊婦です。

二人目を妊娠中なのですが、4歳差になる予定なのですっかり妊娠中の出来事を忘れてしまいました。

一人目の時には、あっという間に大きくなったお腹が二人目はまるで時間が遅くなったようにとても長く感じます。

特に二人目は悪阻がものすごく酷く、何をやっても力が出ません。今まで在宅ワークをしながら何とか生計を立ててきた私ですが、仕事に全く力が出ないほどです。一人目の時には感じられなかった妊娠中ということを、改めて感じる機会となりました。

まず妊娠発覚直後から酷い悪阻に襲われ、今現在5か月の時点でも吐き気止めの薬を飲まないと普通の生活が出来ない状況です。

まさかこんな風になるとは思いもよらなかったので、私自身とても驚いています。

でもだからこそ、妊娠中は気を付けなさいといわれていた言葉はよくわかるようになりました。少しでも動きすぎると体がだるく、休まないと立ってられません。

夕食づくりで精一杯な私でしたが、最近は時間を工夫したり気分転換に好きなおやつを買ってきたりとマタニティーライフを楽しむようにしています。

この間、検診に行ってきたのですが小さな体なのにもう手足があって背骨があってお兄ちゃんと全く同じ頭の形をしていること、小さな手で目をこすっている姿をエコーで見て感動してしまいました。

こんなに小さいのにもう人間の体をしているのだと改めて感動しました。

一人目の時には、妊娠というもの事態何がなんだか分からず過ごしていた時間でしたが、二人目は少し余裕を持って迎えられるので本当に良かったです。

これも4歳差で生まれてきてくれるからだと思いました。

日中は、息子は幼稚園に通っているので私も自分の時間を持てますしやりたいことをやれるのでとても有難いです。

妊娠する前は、マタニティーライフを楽しむなんてよく分かりませんでしたし、イメージもつきませんでしたが今なら分かります。

今日は、少し早いですがマタニティーフォトを撮ってくれるスタジオ探しをしていました。

日に日に大きくなってくるお腹の赤ちゃんと息子と一緒に写真を撮れたらなと思います。

主人にも言ってみましたが、なんだか恥ずかしいようです。

そんなこんなであっという間に終わってしまうと思うこの妊娠生活を思う存分楽しみながら過ごしたいと思います。

まだ性別が分かっていない段階なので次の検診が今からとても楽しみです。性別が分かったら名前を具体的に考えたいと思います。

妊娠、出産は千差万別

私は3児の母です。当然のことながら三度の妊娠、出産を経験しました。

一人目は初めてということもあり、妊娠中からわりとアクティブに妊婦生活を送りました。

まずはじめたのはマタニティヨガ。

これは良かった。とてもリラックスできたし、落ち着いた気持ちになれました。

二つ目はマタニティビクス。

妊娠中、つわりがあまりなく、食欲が増すばかりで、体重増加に悩んでいました。

それからむくみも。

マタニティビクスをすることで、安全に運動ができ、体重増加を防ぐことにも大いに役立ちました。

三つ目はスイミング。

ゆるゆると歩くか、泳ぎもさほどしないだろうと思っていましたが、いざレッスンに入ってみるとクロールからはじまり、なんとバタフライまでやらされました。

しかし、これが楽しかった!私は妊娠中にバタフライを習得しました。

四つ目はミシン。

母から、子供ができたらお稽古バッグや上履き入れ、学芸会で使用する衣装など、手作りしなければならないことが多くなると言われ、小さなミシン屋さんに習いに行きました。

押し売りなどあるかと心配していましたが、それもなく、物静かな若い良い先生に教えていただき、その甲斐あって、子供のものを作るのは苦じゃありません。

その頃はマタニティウェアも作ったりしました。

第一子妊娠時はとにかく身軽に色々できました。

妊娠中に体を動かすことは、気分転換にももちろんいいのですが、出産時に役立つかと思いはじめたのもあります。

少しでも安産にしたいという希望もありました。

骨盤やその周辺の筋肉を意識したり、呼吸を意識的にしたり。

体重増加を防ぐ効果もあります。

でもいざ出産となった時、これらが役に立ったのか・・・

破水してタクシーに乗って自分で病院に行きました。

普通分娩を望んでいましたが、破水もしていたし、子宮口がいくら時間が経っても1センチしか開かないという状況が続き、結局は帝王切開での出産となりました。

帝王切開したことを後悔してはいませんが、あんなに運動したのになぜと思いました。

その頃はまだ知識も不十分だったので、普通分娩できない自分を攻める気持ちもありました。

でも今となっては出産に絶対もなければ、正解も不正解もなく、100人いれば100通りのお産があるんだと思います。

育児書や育児雑誌に書いてあるようなことは参考にはなるものの、その通りにはいかないですね。

第二子、第三子も帝王切開で出産しました。

第一子の時とは気持ちも、やはり状況も違いました。

妊娠中に習いごともほとんどできませんでした。

妊娠も、出産も、そして子育てもひとつとして同じものはないのですね。

 

コンビニ通いがやめられない。妊婦はお腹が空くんです

妊娠中の思い出はたくさんあるのですが、一番の思い出は「いつもお腹が空いていたなー」ということです。

昔の人はよく、「赤ちゃんの分も食べなくちゃ」と言って、必要以上にカロリーを摂取して太ってしまっていました。

そして出産後も結局体重は元に戻らず、そのまま肥満の道へ一直線、なんていうのも珍しいことではなかったのです。

それに比べて最近は、医師の指導が厳しくなり、妊婦だからといってたくさん食べてはいけないというのが一般的になりました

例に漏れず私の場合も、「妊娠から出産までの体重増加はプラス10kgまで」という指導があったのです。

悪阻が終わったら

妊娠初期はつわりがあるせいで食欲が湧かないのですが、つわりが治まると一気に食欲が増加します。

それでつい食べてしまうのですが、一週間で500gも体重が増加してしまうと「ちょっと食べ過ぎですよ」と、医師から注意されていました。

こんな風で、安定期に入った妊娠4ヶ月頃から9ヶ月頃までかなり厳しい食事制限を強いられていたのです。

もちろんそんなことを気にせず食べてしまう人もいるのでしょうが、私の場合は生まれつきの負けず嫌いの気性もあって、「絶対にプラス10kg以内に抑えてみせる」という固い意志を持っていました。

産休に入る直前まで普通に働いていたため、お昼は外で定食を摂ることが多かったのですが、毎日意思との戦いでした。

「このごはんを全部食べてしまったら、夜のポテチが食べられない」「アイスを食べるためにこの餃子は1個残そう」みたいな感じです。

出産間近になると、当然お腹が大きくなるのでたくさん食べられなくなります。

それでも食後の甘い物がやめられず、いつも仕事の帰り道にコンビニに寄っていました。

そもそも私は甘い物が好きではありません。

妊娠すると好みが変わると言いますが、本当に妊娠中だけは甘い物が食べたくてたまりませんでした。

コンビニのスイーツコーナーに立ち止まり、しばらくの間じっと「バナナケーキ」を見つめていました。

丸ごとのバナナと生クリームとで出来たバナナケーキは超高カロリーのため、絶対に手を出してはいけない食べ物だったのです。

その様子は端から見ると「ちょっと怖いぐらいだったよ。」と後日夫に言われるほどでした。

結局バナナケーキを食べる勇気はなく、代わりに毎日アイスクリームを1個食べていました。

こうした涙ぐましい努力の甲斐もあり、出産時の体重は約8kgの増加に留めることができました。

そして無事出産を終えると、まるで憑きものが落ちたかのように、すっかり甘い物への興味はなくなってしまいました。

本当に、妊娠中というのはこういう不思議な変化が起こるものなのです。